カテゴリ:コラム



08日 8月 2020
STV「どさんこワイド179」の特集「てくてく洋二~平岸編」、放送を見届けました。このコラムでは、取材裏話とか、どのような意図を持って番組作りに協力したかなどをお話したいと思います。...
06日 5月 2020
コロナ禍が本格化してから2ヶ月以上経ちました。残念ながら収束の気配はなく、ワクチンや有効な薬が開発されるまで年単位に渡って、人との接触を減らす取り組みを続けなければならない状況に陥っています。平岸だけに限っても、飲食店のみならず、ジム、ダンスホール、ゲストハウス、カラオケ、お花屋さん、タクシー会社、理容室、不動産、カーディーラー、新聞販売所、地域FM、ガソリンスタンドなど、あらゆる業種が大打撃を受けています。原因ははっきりしていて、行動自粛➔人が動かない➔サービスが提供できない➔お金が動かないからです。しかし、地域で生活する以上、こうした状況であっても経済活動を続けなければなりません。そうしなければ従業員や自分たちの生活が守れないからです。こうした時代にあって地域経済を回すには、「いかに人と接触しないでサービスを提供できるか?」という一点に絞られてきます。 これまで道新永田販売所(道新りんご新聞)では地域応援企画として、①テイクアウト・デリバリー特集チラシの発行、②飲食出前代行サービス(4月いっぱいで終了)、③母の日ギフト企画を行ってきました。これらの活動を通じて失敗も多々ありましたが、手応えもありました。 サービスを提供するには、製造・宣伝・営業・流通・販売など様々な段階を経て消費者に届けられます。これまでは概ね各個店単位でこれらのサービスが提供されてきました。SNSで商品を宣伝し、自店で作った商品を来店したお客様に販売するという具合です。しかし、今の時代では人が動かない以上、こちらからお届けするしかありません。ではそれぞれのお店が宅配できるかとなるととてもそうした余裕がないというのが実態です。 そうであるならば、地域内で得意なことを得意な人たちで役割分担すればよいのではないか?というのが私の考えです。製造に関しては各飲食店が行う、宣伝は新聞販売所や地域FM、宅配はタクシー会社・・・などそれぞれの強みを活かした新しい形の協力関係を作り、「売り手よし、買い手よし、地域よし」の三方よしの仕組みを作り上げる。そうした活動に商店街が関わり、自治体がそうした取り組みを支援する。 もはやわずかばかりの補助金だけでは地域経済は維持できる状況絵ではありません。今、必要なのは、互いの長所を活かし、地域にサービスを提供する仕組みを作り上げることだと思います。この状況が続くと体力のある大手チェーン以外の個人店は淘汰されてしまうでしょう。私は個人店が好きです。そこには大手チェーンにはない「人と人とのつながり」があるからです。「〇〇さんいつもありがとうございます」といってくれる人たちが身近にいるということは人間らしい生活に不可欠なものだと思っています。 正直、ここに書いた取り組みができたとしてもそれだけ解決されるわけではありません。地域経済はお店の都合だけで回せるものではなく、消費者があってこそはじめて成り立つものだからです。そのためには地域に対し、想いを届け、それを理解してもらう取り組みも始めなければなりません。 コロナ禍は多くのものを奪いました。同時に、多くのことを気づかせてくれました。人との繋がり、行動、文化といった当たり前だと思っていたことが、本当に価値のあるものだったということを。“売上”という数値の裏にはたくさんの人間が関わって成り立っていたことを。今回のコロナ禍に唯一感謝するとすれば、人は人との関わりの中でしか生きられないという当たり前のことに気づかせてくれたことだと思います。
02日 2月 2020
中心部から放射状に六方向に広がる巨大な枝―雪の結晶を思わせる建築物は北海道大学の学生寮「恵迪寮」です。“結晶”の真ん中は共用棟で、そこから6棟の共用棟に枝分かれしています。「雪は天から送られた手紙である」の名言を残した北大の中谷宇吉郎博士は雪の結晶の美しさに魅せられ、世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出すことに成功した科学者です。1941年に北大に低温科学研究所が設置されると、軍の要請から、ゼロ戦の翼に付着する氷害の研究などが行われました。恵迪寮は北大と縁のある雪の結晶をデザイン化したものと言われていますが、網走監獄をモチーフにしたという都市伝説もあります。
20日 1月 2020
 1月25日に藤野地区センターで開催する「むかしむかし 定山渓鉄道が走っていたころのおはなし」が迫ってきました。この講演では、「札幌の開拓は藤野の山から始まった? 地質と古地図で探る定山渓鉄道前史」と題し、地質と地形が過去の歴史、そして現在にどのようにつながっているのかをお話する予定です。...
22日 12月 2019
東京五輪マラソンコースの最南端に位置する南平岸地区。上空から眺めると、立ち並ぶビルやマンションの間をまるで巨大な蛇がはっているようです。この“大蛇”の正体は、地下鉄南北線。1972年2月の札幌冬季オリンピックに間に合うように、短期間に建設できる高架式が採用されました。...
26日 11月 2019
キャリア教育の一環として、東山小学校で6年生を対象にお話させていただきました。子供向けに仕事の話しをしてほしいという依頼を受けて何を話そうか悩みました。こういった機会が子供の一生に多少なりとも影響するかもしれないと考えれば、責任重大です。...
13日 8月 2019
昭和20年7月15日に起こった札幌空襲。豊平区(当時は豊平町)で唯一の空襲被害の記録が、東山小学校開校20周年記念誌『東山』に収録された座談会「東山小・校区東裏の昔を語る」に残されています。「7月15日、豊平神社の本祭りで、朝から3回の空襲警報があり、10時30分頃、千歳線上をグラマン機が月寒から札幌に向かって飛行しているのが見えた。そのグラマン機からの機銃弾が一発、美園3条1丁目の駒崎さんの茶の間の天井を撃ち抜いたが、幸いにも人の怪我はなく、これが豊平区内のただ一発の戦時中の被害であった」と美園地区の農家だった加藤幸作さんが語っています。 お隣の白石も空襲の被害に遭いました。『さっぽろ文庫14巻 昭和20年の記録』には空襲を体験した田中スギさんの記録が収められています。「・・・仕事を始めようとした直前、真夏の青空の飛行機は、バリ、バリ、バリッと機銃射撃をしながら国道12号線沿いに急降下し、私達の頭の上に突っ込んできました。みんなは無我夢中になって畦と畦の間の排水口にうつぶせになって身を伏せたのですが、恐ろしいという言葉どころではなく、生きた心地もありませんでした。・・・敵機のグラマンは、函館本線の白石駅と豊平川鉄橋の中間あたりを進行中の上り列車を銃撃。迷走した機関車は、白い蒸気を噴出して運行不能となりました。射撃のスサマジイ高音。それはそれはオッカナイことでした。・・・その時の客車は穴だらけの屋根、滅茶苦茶の窓のまま、家の隣の東札幌引込線に入って来て、子供たちの格好の遊び場でもありました。」 米軍の主な攻撃目標は飛行場や軍事関連施設(※豊平区でもあった札幌空襲①6つの空爆標的リスト)でしたが、実際には全く無関係の施設や市民も攻撃の対象となりました。機銃による無差別攻撃は札幌だけでなく、道内各地で起こりました。 ・牧場の牛や馬が狙われた。 ・逃げる学生を追うようにして機銃掃射してきた。振り返ると白いマフラーをしていた。 ・伊達の日本赤十字病院(屋根や旗で赤十字のマークが記されている)では患者が1人、入院患者1人、看護婦が1人、看護学生が1人亡くなった。 ・隣の駅で列車が攻撃を受け十数人の犠牲がでた。 ※いしかり市民カレッジ「あの日のいのち~北海道空襲の犠牲者たち~」より 昭和20年7月14日・15日に起こった北海道空襲では2916名が犠牲となりました。このうち228人が16歳までの子どもでした。
25日 6月 2019
本日は平岸高台小学校3年生の総合的な学習の時間で出前授業を行ってきました(授業の様子はこちら→http://www16.sapporo-c.ed.jp/hiragishitakadai-e/notice/index/139/6617)...
18日 2月 2019
米軍艦載機が札幌方面に向かった昭和20年7月15日、その日は豊平小学校(当時は国民学校)の遠足の日でした。当時、同校の3年生だった池上芙沙子さんは『池上商店物語:少女の目で見た昭和史』にこの日の記憶を詳細に綴っています。
17日 2月 2019
業界・職種・世代を越えたオープンな勉強会「札幌オープンイノベーション勉強会」が主催する「災害とIT 減災のための情報発信とは?」に参加してきました。基調講演者がLINE執行役員の江口清貴さん。「LINEいじめ」などのSNSを原因とした社会問題の解決などのCSR活動を担っている方です。最近では、LINEを使った災害情報の収集実験などを実施されています。江口さんのお話の中で「災害時に役に立つのは“普段使いのメディア”だけである」というお話がありました。非常に的確な指摘だと思います。何かあったらNHKというのは日本人の習慣になっていますが、普段から信頼のある情報を発信しているからこそ非常時に頼られる存在になっているのだと思います。

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