STV「どさんこワイド179」の特集「てくてく洋二~平岸編」、放送を見届けました。このコラムでは、取材裏話とか、どのような意図を持って番組作りに協力したかなどをお話したいと思います。
今回の取材は、お盆時期ということで平岸霊園周辺を取り上げたいとの相談から始まっていますが、もともとは今年の2月頃にオリンピックのマラソンコースになっている平岸街道周辺を紹介してほしいという依頼がきっかけでした。そのときに提案した見どころは今回紹介したスポットとは全く異なる所でしたし、大げさに言えば札幌市民がよく言う「札幌には歴史がない」という(誤った)先入観を打ち破る内容になっていたと思います。こちらについては、無事来年コロナが終息し、オリンピックが開催されればあらためて取り上げてもらえるかもしれません。
まさかの平岸高台公園スタート
「お盆だから平岸霊園」というのはわかりやすいですが、テレビの絵的にインパクトが弱いから、木村洋二さんの相方・大泉さんを有名にした平岸高台公園から番組をスタートしてみてはどうですかと提案させてもらいました。ただ、移転したとはいえライバル局が映るのはまずいでしょうから、断られるだろうなと思っていたら、「かえってそっちの方が面白いですね」と担当ディレクターの英断で要望が通ってしまいました(懐が深いですね)。平岸高台公園のポイントとしては、
・地形と地質には密接な関係がある
・高台エリアは火山灰(支笏火砕流堆積物)でできている
の2点ですが、実は収録の際、「なぜ道内のテレビ局の中でHTBだけが街中から外れたこんな場所で開局したのか?」ということもお話しています。これについてはなぜHTBは平岸で開局したのか?地形と地質から考えるで解説していますので、興味のある方は読んでみてください。さすがに他局の歴史についてそこまで掘り下げるのはどうかという判断でカットされたのだと思います。
より広く、より遠くへ~札幌お墓物語
次の見どころ平岸霊園ですが、はっきり言ってこれまで身近にありすぎて、なぜここに霊園ができたのか考えたこともありませんでした。あらためてお墓の歴史を勉強してみましたが、調べてみたらやはり面白い。まだまだ意外なところに歴史スポットは眠っているなと思い知らされました。札幌のお墓の歴史は、簡単に言えば、「より広く、より遠くへ」ということです。開拓当初は墓地の整備まで手が回らず、無断埋葬の横行していました。その後、明治18年に北海道の視察に訪れた高級官僚・金子堅太郎が北海道の荒れ果てた墓地に呆れ、「海外では植民地に進出する際、真っ先に墓地を整備する。死んだあとも立派に埋葬してもらえることではじめて安心して開拓に専念することができるのだ。移住者が北海道に根付かないのは墓地が整備されていないからであり、急ぎ墓地の整備と規則づくりを進めさせるべきである」と報告しています。これを受けて、札幌でも墓地が整備されていきます。この頃の墓地は基本的に集落の外れに作られ、共同管理されていました。山鼻墓地、月寒墓地、苗穂墓地、豊平墓地などです。明治はじめに作られたものもありますが、それらの墓地も墓石や区割りなどが整えられ、著しく体裁が整えられていきました。しかし、昭和初期になるとこの墓地システムは機能不全に陥ることになります。急激な都市化の進行により、集落と集落の境目がなくなり、市街地に墓地が飲み込まれてしまったからです。当時は土葬の割合も多く、公衆衛生上の理由もあり、墓地より大きな収容能力がある“霊園”の建設が求められることになったのです。こうして、火山灰という土地柄、開墾にむかず手つかずの土地が余っていた平岸高台に札幌ではじめての霊園が誕生することになったのです。その後、里塚霊園(昭和41年)、手稲平和霊園(昭和48年)、真駒内滝野霊園(昭和57年)、茨戸霊園(昭和55年、住所は石狩市)、と都市の膨張に合わせて霊園は郊外に作られていくようなりました。逆にいえば、今後人口減少社会を迎えると霊園の都心回帰もありえるかもしれません?
地下鉄ではなく“高架鉄”だった!?札幌地下鉄誕生秘話
ロケでは、定山渓鉄道と地下鉄南北線について、地質や地形と絡めて結構な時間お話ししましたが、残念ながら全部カットになってしまいました。札幌の地下鉄の特徴は、①ゴムタイヤ、②高架、③シェルターであり、この3つが組み合わさった区間が地下鉄南北線の南平岸~真駒内間になります。そもそも札幌の地下鉄は計画当初、市内中心部を除いて、南北線も東西線も高架にする計画でした。詳しくは、北海道新聞建設新聞のweb版記事「五輪を支えた都市施設〈地下鉄(高速軌道)①〉」に掲載されていますので、興味のある方はリンク先をご覧ください。要するに、建設費用の観点から高架を中心に建設する予定だったのが、建設省から横槍が入り原則として地下ルートに切り替えられました。しかし、定山渓鉄道跡地の南平岸~真駒内だけは土地幅の制約・工期短縮などの理由で高架にせざるを得なくなり、結果的に当初の計画が実現したことになります。平岸までは地下ですから、南平岸までの1.1キロで40メートル以上の急勾配を登ることになり、摩擦係数の大きいゴムタイヤが採用されました。また、住宅街の中を走行するため騒音対策としてもゴムタイヤは重要でした。地表に露出した高架部は当然積雪対策が必要になります。当初の予定ではロードヒーティングやササラ電車を走らせる計画もありましたが、除雪後の雪がシャーベット状に固まるなどの問題が解決できず、最終的にシェルターになったのです。今回の番組のテーマだった「平岸発展のカギは発想の転換にあり」を体現した場所だったと思います。
最後のりんご農家=平岸天神を作った男
旧中井家リンゴ倉庫(平岸天神太鼓道場)です。番組では紹介しませんでしたが、裏に札幌軟石づくりの倉庫も並んでいます。もともとこの建物は平岸街道沿いに建っていましたが、1988年に建物ごと動かす曳家(ひきや)という方法で、現在の位置に保存されました。かつては平岸街道沿いに軟石づくり・レンガづくりのりんご倉庫が立ち並んでいましたが、そのほとんどが壊されてしまいました。今わずかに残るりんご倉庫は、かつてのりんご農家の方の熱意と金銭的負担に負っています。
そもそもこのりんご倉庫を知るきっかけとなったのは、札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人さんの個人ブログ札幌時空逍遥です。札幌を代表する街歩きの達人で、UHB「となりのレトロ」では毎回、普通の街歩きでは取り上げないであろうマニアックな視点で知的散歩を楽しませていただいております。番組内で紹介した、「断熱」のために作られたりんご倉庫が、「防音」のための太鼓道場になったというお話も杉浦さんに教えていただきました。
まとめ
今回のおもな街歩きスポットとキーワードをまとめます。
・平岸高台公園 火山灰(支笏火砕流堆積物)、台地と平野のキワ
・平岸霊園 都市膨張、墓地の郊外移転、迷惑物件
・南平岸 アンパン道路、清水商店、平岸小学校、りんご
・地下鉄(放送ではカット) 定山渓鉄道、高架、ゴムタイヤ、シェルター
・りんご倉庫 小端空間積み、断熱、防音、平岸天神太鼓、平岸天神
昨今はやっているブラタモリ的番組、てくてく洋二もその一つだと思いますが、ブラタモリの面白さである『自然と人間のつながり』を意識して、今回の番組作りに協力しました。このような自然の歴史があってこうした地形ができた。その地形や地質を活かして、このような産業ができ、インフラができあがった。かつての産業が形を変えて今の産業・文化にこのように結びついている。こうしたつながりが見えることで、「なるほどそうだったのか」と納得してもらえるし、視聴者も街歩きを追体験できます。平岸を例にすると、
①支笏火山が大噴火し、火砕流が札幌を埋め尽くした
②豊平川が火砕流を削って扇状地を作り、台地と平野のキワができた
③火山灰でできた台地にしみ込んだ雨が、台地のキワから湧き出し、小川(小泉川)ができた
④小川の流域は水田地帯となり、そこから離れたところはりんご園になった
⑤水田地帯とりんご園を縫うように定山渓鉄道が作られた
⑥定山渓鉄道の跡地に地下鉄南北線が作られた
⑦りんご倉庫をもとにして平岸天神太鼓・平岸天神が誕生した
という流れになります(時間の都合でカットされたのもありますが)。ナチュラルヒストリーが開拓の歴史につながり、現在に受け継がれていることがよくわかると思います。ブラタモリが何年も続いていることからもわかるように、このような自然史と人間の歴史はどの街にも存在します。今後も、また機会がありましたら、平岸だけでなく、札幌の様々な自然と歴史の魅力を紹介していきたいと思います。
道新りんご新聞編集長・伴野卓磨のプロフィール
1977年7月19日室蘭生まれ、登別育ち
北海道新聞永田販売所代表取締役。理学博士。専攻は古生物学・地質学。北海道地域防災マスター。「コミュニティの希薄化」「人口減少」「高齢化」「防犯」「防災」・・・などの様々な地域課題を解決するために、新聞販売所の強みである“地域との顔の見える関係づくり”を重視し、地域のヒト・モノ・コトを結びつける様々な地域貢献活動に取り組んでいます。新聞販売所から地域プラットフォーム事業(新聞販売事業、デリバリー事業、生活サポート事業、地域広告事業)への転換を進め、豊かな地域生活をサポートすることを経営理念としています。
〈学歴〉
1996年 北海道室蘭栄高等学校卒業
2007年 金沢大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了 在学時の専門は古生物学、地質学
〈職歴〉
2008年 六花亭製菓株式会社入社
2010年 同社を退社 北海道新聞永田販売所入社
2019年 代表取締役就任
〈賞罰〉
2008年 古生物学会論文賞受賞
〈主な地域貢献活動〉
・胆振東部地震発生時に地域新聞「道新りんご新聞」の号外を計3回配布。給水所・充電スポット・避難所・買い物情報などを発信。販売所のSNSやホームページなどでも情報提供(2018年9月21日北海道新聞)
・ドローンを使った災害時の新聞輸送実験の実施(2018年9月22日北海道新聞)
・小学校への出前授業(地域の歴史・防災など)
・新型コロナにより売り上げが減少した飲食店の応援企画として地域の飲食店のテイクアウト&デリバリー特集チラシの作成と配布、出前代行サービスの開始(2020年4月2日北海道新聞など)
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