なぜHTBは平岸で開局したのか?地形と地質から考える

開局当時のHTB社屋と平岸高台地区(提供:HTB)
開局当時のHTB社屋と平岸高台地区(提供:HTB)

道新りんご新聞9月1日号では、HTBの開局から50年の歩みを振り返りました。開局当時(1968年)のHTB社屋と平岸高台地区の写真がこちらです。周囲には何もない空き地が広がっています。

 

この時代、まだ地下鉄はなく(南北線の開業は1971年)、今の地下鉄南北線が走っているところには定山渓鉄道がありました。しかし、定山渓鉄道には豊平駅と北茨木駅(今の澄川駅)の間に駅はなかったので、公共交通機関はバスだけでした。

HTBができる前の平岸高台地区の航空写真がこちら。赤い星がHTBの社屋の現在地です。社屋の東側に極楽寺、道路を挟んで南側に平岸火葬場があり、周囲はトウモロコシ畑と果樹園が広がる農村地帯でした。

 

当時、NHK、HBC、STVは既に開局しており、いずれも市内中心部にありました。なぜHTBはわざわざ何もない、アクセスも悪い平岸高台地区で開局したのでしょうか?

HTB本社ライブカメラ映像
HTB本社ライブカメラ映像

その答えがHTB社屋に設置されたライブカメラの映像に写っています。

写真左側に写っているのが藻岩山。右手の奥に写っているのが手稲山です。ちなみにこのライブカメラは、社屋移転に伴い廃止されますので、ここからのリアルタイムの映像を見られるのも残り10日足らずです。

 

ここから手稲山まで、高層建築物に遮られることなく見渡せることがわかります。

手稲山の山頂にはテレビ局の送信所が設置され、テレビ局から送られた電波を石狩平野全域に送信しています。

航空写真でHTBの現社屋(赤い星マーク)と手稲山の送信所(青い星マーク)の位置関係を確認しましょう。

ブラタモリで有名な赤色立体地図で見るとこうなります。これを見ると、手稲山のテレビ送信所は札幌南西部の山岳地帯の中でも、特に標高の高いところに設置されていることがわかります。

 

またHTBがある一帯は、札幌中心部よりわずかに高い丘陵地にあり、その中でも北西の端っこにHTBが建てられていることがわかります。

 

このような凸凹の地形は、札幌の成り立ちと深く関係しています。

今から約400万年前、札幌は海の底でした。この時代の火山活動で形成されたのが手稲山や藻岩山など札幌西部の山岳地帯です。激しい火山活動は、ときに山頂から大量の溶岩を流出させました。こうしてでいたのが、手稲山の山頂です。溶岩からなる地盤は極めて強固で、テレビ塔の送信所の設置場所にふさわしいものでした。

 

一方、HTBがある丘陵地は今から4万年前、支笏湖にあった火山の大噴火により発生した火砕流でできています。この火砕流は4万年の間に豊平川により削られ、市内中心部には丘陵地より一段低い扇状地が作られました。

水曜どうでしょうで有名な平岸高台公園は、4万年前の火砕流と豊平川が削った扇状地の“キワ”に位置した崖といえます。

 

なぜHTBが平岸に開局したのか?その答えは、地球の歴史がもたらした地形に一端があります。もちろん、電波の送信だけが開業地として選ばれた理由の全てではありません。道新りんご新聞9月1日号に書いたように、初代社長の岩澤靖氏がたまたまこのあたりの土地を所有していたことも大きな理由の一つだと思います。

 

地質や地形というと自分とは無縁の難しそうな話しだと思われがちですが、実はすべての出来事につながっているのです。

9月28日(金)から4週連続で開催する豊平区民センター講座『豊平区の歴史を学ぶ 古地図と写真で巡る豊平区の歴史~札幌開拓のカギは地質と地形にあり~』では、古地図や豊富な写真を用い、地質や地形が札幌のまちづくりや歴史とどう関わってきたのかを解説します。

 

日 時 :9月28日~10月19日の 毎週金曜日(全4回)10:00~11:00

場 所 :豊平区民センター2階 視聴覚室

定 員 :20名(先着順)

対 象 :15歳以上(中・高校生除く)

受講料 :1200円

申込方法:9月11日(火)~9月19日(水)10:00~17:00まで、豊平区民センター窓口またはお電話 011-812-7181 にて受付

 

講座内容(予定)

・第1回.札幌開拓のカギは地質と地形にあり!?(地質・地形編)

・第2回.地名と地形で探る豊平区の歴史(自然史・古代史編)

・第3回.札幌の古道をゆく(入植編)

・第4回.古地図と写真で振り返る豊平区の歴史(開拓編)