縄文・古代史編

縄文・古代史編では、人類の誕生から北海道への渡来、そして縄文時代の札幌の様子を解説。さらに、平岸の縄文遺跡から出土した土器・石器・遺構などから、当時の平岸に暮らしていた縄文人がどのような生活を送っていたのか、その実像に迫りました。

 


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第9回.人類の誕生~そして北海道へ(2014/8/1号)
私たちの祖先である新人(ホモ・サピエンス)は約7万年前、突然アフリカを出て世界中に拡がります。シベリアに渡った集団は寒冷地に適応した生活を送り、マンモスなどの大型動物をしとめて暮らしていました。そして、約2万年前、気候の寒冷化に伴い、北海道に南下してきたマンモスを追って、人類が渡ってきたのです。
⑨人類の誕生(本稿).pdf
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第10回.縄文時代の札幌(2014/8/15号)
今から約1万5千年前、氷河期が終わると、人類はマンモスなどの大型動物の狩猟に頼った生活を一変させなければなりませんでした。気候の温暖化とともに誕生した落葉広葉樹の豊かな恵みを生かす装置、それが縄文土器です。この土器の発明により、縄文人は、煮炊きが可能となり、木の実・山菜・魚介類・根菜など多様な動植物を食べられるようになったのです。札幌の縄文時代を振り返ります。
⑩札幌の縄文時代(本稿).pdf
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第11回.縄文時代の平岸①(2014/9/1号)
平岸には、天神山遺跡・東山遺跡・平岸坊主山遺跡の三つの縄文遺跡があります。
各遺跡の発見の経緯、発掘風景、特徴などを紹介します。
⑪平岸の縄文時代(本稿).pdf
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第12回.縄文時代の平岸②~縄文土器からわかること(2014/9/15号)
縄文時代の日本は、現代風に言えば多民族社会であり、日本は多種多様な文化圏に分かれていました。平岸から出土する縄文土器から、当時の平岸は道南の文化圏と同等の文化圏が接触する国際色豊かな地域であったことがわかります。
⑫平岸の縄文時代(本稿).pdf
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第13回.縄文時代の平岸③~石器からわかること(2014/10/1号)
縄文人は自然の恵みを生かす達人であり、その暮らしを支えたのは様々な道具です。平岸の縄文遺跡から出土した石器から、当時の縄文人の暮らしぶりを復元しました。
⑬平岸の縄文時代(本稿).pdf
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第14回.縄文時代の平岸④~遺構からわかること(2014/10/15号)
平岸の縄文遺跡からは、土器や石器といった「モノ」だけでなく、建物跡などの「遺構」も多く見つかっています。天神山遺跡では竪穴住居が11件も見つかっており、さらにそのうちの一軒は住居としては必要以上に大きく、宗教的な行事を行う“パワースポット”だったのかもしれません。
⑭平岸の縄文時代(本稿).pdf
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第15回.縄文時代の平岸⑤~まとめ(2014/11/1号)
平岸の縄文遺跡からは縄文時代早期から晩期までの多くの出土品が見つかっています。札幌市内でこのように長期にわたって集落が維持された例はなく、当時の平岸は縄文人にとって暮らしやすい環境だったことがわかります。縄文時代の平岸の自然地理を復元することで、暮らしやすさの秘密に迫りました。
⑮平岸の縄文時代(本稿).pdf
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第16回.縄文以降の日本~北海道の歴史的分断(2014/11/15号)
多様な文化が並立していた縄文時代は、アジア大陸から持ち込まれた稲作の普及により終わりを告げます。稲作は、田んぼを作る農業土木技術や神道といった宗教文化と一体になって、日本中に広がり、一つ文化に地ならしされます。一方、北海道は寒冷な気候から稲作が普及せず、縄文時代以来の狩猟・採集・漁労生活を続けていました。
⑯続縄文~擦文(本稿).pdf
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第17回.あるアイヌの生涯~和人による虐待(2014/12/1号)
江戸時代、北海道を支配していた松前藩は、道内の漁場を商人に請け負わせ、アイヌから搾取することで利益を上げていました。当時、札幌に暮らしていたモニヲマ一家も、和人による横暴な仕打ちを受けます。妻を番人の妾にとられ、乳児は餓死し、モニヲマ本人は浜での強制労働に借り出され、老母も飢えと寒さで亡くなってしまうのでした。
⑰アイヌ時代(本稿).pdf
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