道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る②

9月7日3:00

販売所へ。配達スタッフにはエレベーターが停止したマンションは集合ポストに配達するよう伝える。ドアが開かないマンションも集合ポストへ。集合ポストにも入れないマンションは玄関前に手紙をつけて、購読者分の部数をビニールにまとめてお届け。

 

3:50

販売所の電気が復旧。思わずバンザイ。電力の復旧により、昨日家族総出で8時間を費やしたチラシの折込作業がなくなる。正直ホッとする。

 

5:00

弊社の朝刊新聞輸送は2回に分けて行われる。1回目は3時に到着したが、2回目の輸送が来ない。通常であれば3:30には到着しているはず。電話はつながらず。FAXも来ない。一切の情報が入ってこないまま、ただ待つのはつらい。工場と販売所の連絡共有手段を複数確保する必要性を痛感。次の仕事を抱えるスタッフや、家の片付けも終わっていないスタッフもいる。

 

5:15

ようやく2回目の輸送トラックが到着。胸をなでおろす。

6:00

ある配達スタッフから数日間休みたいと連絡。家の中がぐちゃぐちゃになったらしい。みんな大変な状況の中で配達に来てくれているのだ。落ち着くまで休んでもらうことに。本来休みのパートさんが何か手伝えることはないかと、頼んでいないのに自主的に出てくれていたので、明日からの配達はその方にお願いした。緊急時の意識の高さに圧倒される。

6:30

販売所エリア内に3つある避難所へ新聞をお届け。どこの避難所もスタッフ(学校の先生や区役所の職員)が起きていた。ほとんど休んでいないのだろう。お礼を言われたが、こちらからも「頑張ってください。ご苦労さまです」とお声がけした。お互い、支える者同士の使命感と苦労を共有できた気がした。

 

販売所に保管しておいた平岸地区防災マップも届ける。この防災マップは熊本地震後に、平岸まちづくり協議会が発行したもので、制作は道新りんご新聞とFMアップル、メガネのオプトンで行った。

 

コンセプトは「災害の危険性を示すハザードマップではなく、災害が起こったあとに必要な情報を載せる」ということ。個人利用を想定しての地震のハザードマップは必要ないと思う。日本に住んでいる以上、どこでも大地震にあうリスクは存在するのだから。

 

この防災マップが使われる日があるとは正直思っていなかったが、制作からわずか2年で使われることとなってしまった。

この防災マップの特徴は、凡例を見てもらえればよくわかる。せまい地域に特化し、災害時に必要とされるであろう情報をきめ細かく載せている。

 

実際には、充電スポット(ケータイショップなど)はほぼ閉店しており、必ずしもすべての情報が役に立ったわけではないが、避難所ではとても喜ばれた。

 

自治体が作る防災マップのほとんどは、ここがこれぐらい危険ですというハザードマップばかりだが、災害が起こってしまったあとにそんなものがなんの役に立つのか。西日本集中豪雨のように、注意喚起には必要かもしれないが、「災害が起こってしまったあとに必要となる情報」を事前に想像し、準備しておく必要がある。

 

今にして思えば、避難所だけでなくコンビニやスーパーなどにも新聞・防災マップを提供し、多くの人に情報を提供する機会を作っておくべきだったと反省。

 

こういったとっさの行動は、平時にどれだけ頭の中で訓練できるかで決まる。災害は日本各地で必ず起きる。そのときに新聞販売所が何をできるか?関係者は自分ごととして捉えてほしい。

7:30

配達終了。販売所には2台の車があるが、1台がガソリンの給油ランプがつく。朝刊配達時以外は、できるだけ車の使用を控えるように指示。自宅に戻る。

11:00

ネット、テレビ、ラジオ、新聞などで情報収集。平岸では電気の復旧が進んでいた。昨日は避難所、給水所といったライフラインを中心に情報発信したが、スーパーやガソリンスタンドなどの生活情報が求められるフェイズに入ったと判断。復旧状況に応じて、求められる情報は変化する。その微妙な変化を逃さないようにアンテナを張り詰める。「市内一部のスーパーで営業開始」「一部のガソリンスタンドが再開」などのニュースや記事が目につくが、その一部がどこなのかが大事なんだよ!とツッコミつつ、生活情報を中心に情報収集へ出かけることとする。

13:00

ENEOS南平岸SSへ。昨日取材に行った際には、電力が復旧しないと営業できないとのことだったが、早速営業再開していた。従業員も10人近く出て、手際よく次々と車を案内していた。

 

しかし、自動車の列はどんどん増え、ガソリンスタンド周辺では渋滞に。左車線がスタンド待ち。右車線で追い越せばよいのだが、右折車もいるのでスムーズに流れない。再開したスタンドの周辺では9日ぐらいまで渋滞が起きる状況になっていた。

 

取材と同時にfacebook、twitterでリアルタイムに情報発信をする。しかし、そういった情報に接することができるのは地域のごく一部に過ぎない。

13:20

HTBへ。中央区への社屋移転を1週間後に控え、多忙なはずなのに、玄関ロビーを充電スポットとして開放していた。最後まで地域に寄り添ってくれる姿勢に感銘。

 

3年ほど前、HTBの社員が私に一度会いたいと連絡があり、地域情報の発信について意見交換したことがある。そのとき、我々はきめ細かいサービスはできない。何かあったときにできるのは、社屋を開放することぐらいと話していたのを覚えているが、きちんと実行されているのがすごい。

13:40

販売所に戻る。HTBを見習い、早速充電スポットとして販売所を開放することに。ツイッターではそれなりに拡散されたが、利用者はなし。既に周辺地域の電気は復旧していたから当然の結果。パフォーマンスに過ぎなかったかもしれないが、「やらない善より、やる偽善」。迷ったら、地域のためになる方を選ぶ。来なくても誰かに迷惑かけるわけでもなし。

14:30

再び夕刊を届けに避難所へ。朝に比べ、避難者はずいぶん減っていた。今いる人も、自宅に戻るそう。運営に携わった皆さんに感謝。しかし、東日本大震災ではこの状態が数ヶ月以上続いたことを思うと、今回の被害は比較対象にもならない。真冬に起きたら、震度7だったら・・・

15:35

マックスバリュ平岸店。長蛇の列が並ぶ。この後、西友、東光ストア、ラルズを回り、営業時間、混雑具合、品薄状況を中心に情報発信。しかし、商品の入荷状況は未定であり、閉店時間も定かではなかった。

東光ストアでは夕方だったが肉・魚もそろっていた。妻も生鮮食品には困っているだろうし、長時間並ばせるのはかわいそうなので、買い出しをする。今日ぐらいと思い、きんきを買って帰ったら「こんな高いの買って!」と怒られた。しっかりしている。

 

昨日に続き、号外を出すか悩んだが、エリア内の電気は復旧していることと自分と社員の疲労を考え、出さないことに。

 

帰宅後、温かいご飯と温かいお風呂。何でもないことに幸せを感じる。さすがに2日間の疲労を覚え、早めに就寝。

 

※道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る①

※道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る③