道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る①

9月6日3:08

地震で飛び起きる(のちに豊平区は震度5弱と判明)。すぐに玄関までの扉を開き、動線を確保、こども達の様子を確認。6歳と4歳の長女・次女はパニック状態、1歳の三女は泣き止まない。妻より「私達は大丈夫だから、(仕事に)行っていいよ」と気丈な言葉。

 

日ごろより、災害時には私が仕事に専念し、妻には家庭を守ってもらうことを伝えていたが、申し訳ないと思いつつ、こども達のことは妻に任せ、ただちに販売所へ向かう。

スタッフや建物などに被害がないことを確認。社員は冗談を交えながら明るく振る舞う。テレビ・パソコンで情報収集。非常時に備え、風呂場やバケツに水をためる。

 

3:20

まもなく停電。スタッフはスマホの照明や販売店に常備してある懐中電灯をつけ、淡々とチラシの折込作業を続ける。外の様子を見に行く。信号は停止。見渡す限り真っ暗。

 

配達スタッフには明るくなってからの配達を指示。しかし、義務感からか全員すぐに配達に出かける。80代から高校生まで、一人も休まずに配達にあたってくれた。従業員の思いに胸を打たれつつ、安全第一を指示。

 

配達終了後になって、エレベーターが停止した高層マンション(14階建て×複数棟)などを全て階段を登り配達していたことが判明。停電時は集合ポストに配達するよう指示を出さなかった自分の判断の甘さに反省。翌日からは配達は集合ポストにと指示。

 

3:50

スマホと車のテレビで情報収集。この時点で停電範囲がよくわからなかったが、札幌市内全域は停電していると判断。パソコンが使えないので、ブログからの情報発信をあきらめ、facebooktwitterからの情報発信を開始。

 

 

熊本地震後、「地域情報の備蓄」が必要との教訓から作っておいた平岸防災のページを案内。スーパー、公衆電話、AED、給水所、ガソリンスタンドなど“災害時に必要となる情報を平時に集約しておく”ことの大切さをあらためて認識。地域の防災マップと防災ページを作った経験が、その後の情報発信にものすごく役立った。

7:00

全ての配達終了後、仮眠。

 

10:00

全道で停電している状況を確認するも復旧の見通しが立たず。スマホがネットにも繋がらなくなる。twitterは災害に強いと聞いていただけに意外だった。この時点で道新りんご新聞の号外を発行することを決断。しかし最大の問題が販売所に非常用発電機を用意していないこと。紙面制作のパソコンと輪転機を借りられないか、月寒の三宮販売所に直接出向き(電話は不通)、所長に快諾していただく。

 

作るのはいいが、何を載せるか。マスメディアやネットでは拾えない地域の安全・生活に関わる情報を中心に据えることに決め、南平岸・平岸地区の公的施設、スーパーなどに向かうことにする。

 

11:00

白石藻岩通と羊ケ丘通の交差点。警察官が二人で交通整理。車も指示通りスムーズに流れる。夕方ごろ信号だけ復旧。それまでずっと交通整理を続けていた。

11:10

豊平区役所3階の総務企画課防災係へ。区が主催する防災イベントの取材などを通して知り合いの職員が私の顔を見て、すぐに寄ってきて情報提供してくれる。この頃「6時間後に市内全域で断水する」という噂が出回っていたので、確認するとそういう予定はないとのこと。早くもデマが出回っていた。避難所や給水所などを確認。豊平区が地域の防災情報を発信する予定はないとのこと。自分でやるしかないと覚悟を決める。

11:30

セブンイレブン平岸4条店。店員さんが殺到したお客を丁寧に誘導し、電卓で精算していた。セイコーマートばかりが称賛されているが、セブンイレブンも停電中に開店していた。

弁当類など食品は空。飲料品もアルコールを除いて品切れに

しかし、激辛ペヤングだけは大量に売れ残っていた。ちなみに他の地域のコンビニでも同じ現象が起こっていたらしい

11:45

ツルハドラッグ平岸3条店。長蛇の列が。先頭は3時間待ちだった。

暗い中、若い従業員さんが子連れで接客対応していた。店員だって被災者なのだ。こんな状況でも頑張っている人々に接し、胸が熱くなる。警察官、公務員、学校の先生、店員さん・・・新聞屋として自分もやれることをやろうと決意を新たにする。

12:00

西友にも長蛇の列。

12:10

ケータイショップは軒並み閉店。充電スポットとして再開したのは、停電から復旧後だった。

12:15

平岸小学校へ。グラウンドの給水所には、近所のマンションの住人が並んでいた。組み上げ式のマンションでは軒並み断水に。平岸小学校、月寒公園、南部水道センターが給水所となっていたが、近所の公園で給水する人も多かったそう。

この時点で60~70人ほど避難していた。学校の先生は3:30ころから運営にあたっていた。平岸小ではテレビがついていたが、他の学校では非常用発電がないところも多かった。情報がないことに対する不安を解消してもらおうとエリア内のすべての避難所に新聞を届けることを決める。

学校に設置された太陽光発電を使って充電コーナーが開放されていた。太陽光なので、曇り空や夜間には使えない。しかし、充電スポットとしてテレビなどで紹介されたため、この後希望者が殺到する事態となった。次の日に発行した道新りんご新聞号外でも条件付きで充電できる場所として紹介したが、充電したいという需要に対し、供給場所があまりにも少なく、こうした混乱につながった。

12:25

南平岸まちづくりセンターへ。所長は会議中で留守だったが、スタッフは旧知の方ばかり。ここでも顔の見える関係づくりの大切さを身にしみる。区内のまちづくりセンターで給水とトイレの提供を行っていることを教えてもらう。

12:40

平岸まちづくりセンターへ。所長の判断で充電スポットを開放していた。24時間体制で施設を開放するという。その覚悟に感銘を覚える。まちづくりセンターは停電中、給水拠点、充電スポット、避難所、情報提供と地域の安全拠点として重要な役割を果たし続けた。

12:50

FMアップルへ。これまでの取材で溜め込んだ情報を塚本放送局長に提供。ただちに放送で流してくれた。何かあったときに役立つのはラジオや新聞などのオールドメディアだと実感。その後FMアップルとは、互いに情報を交換しながらお互いの情報発信に活かしあった。

 

13:30

夕刊手配のため販売所へ戻る。夕刊配達スタッフも全員無事に出社。全員何らかの被害は受けているはずなのに・・・感謝。

 

夕刊はペラペラの4ページ。しかし、北海道の歴史の中でもこれほど必要とされた4ページはなかったかもしれない。

 

ただちに自店エリア内の全ての避難所へ届ける。余りがほとんどないため、1部ずつしか届けられない。本社に送り部数を増やしてもらうよう要請する。

14:30

月寒の三宮販売所でパソコンを使わせてもらい、ただちに道新りんご新聞の号外の制作に取りかかる。避難所、給水所、充電スポット、スーパーなどの生活情報を中心に緊急用の連絡先を掲せ、写真を取り込み、レイアウトまで30分程度で完成させる。りんご新聞は創刊から3年目になるが、こんな短時間で書き上げたことはない。火事場のクソ力。すぐに印刷。三宮所長はじめスタッフの皆さんも多忙の中、手助けしていただく。三宮販売所のご協力がなければ号外は発行できなかった。感謝。

15:45

刷り上がった号外を自店に持ち帰る。社員3名のうち、1名は地下鉄運休のため、もう1名は母親が体調不良ということで完全な人手不足に陥る。

 

次の日の新聞に折り込むチラシを組み上げる作業は通常、機械を使って行うので、1~2時間で終了する。しかし機械が使えないので、手作業で十数枚のチラシを2500部揃えなけらばならない。

 

「仕事は私、家庭は妻」という役割分担をあきらめ、妻は赤ん坊を抱っこしながらずっと立ったまま作業を続ける。長女と次女も、あまり寝れなかったにも関わらず手伝ってくれた。申し訳ない。

 

17:00

母親が体調不良という社員が出社。スタッフに支えられていることをあらためて実感。

 

21:00

作業終了。早朝から配達を見守り、新聞の取材に駆け回り、チラシの組み込み作業でクタクタのはずだが、ハイになっているせいか疲れは感じなかった。

 

21:30

ようやくスマホがネットに繋がる。昼間取材した情報をtwitterとfacebookで発信開始。平岸でも一部地域は電力が復旧したとのこと。長期化は避けられそうな気配に少しホッとする。

 

23:00

就寝。1日目が終わるがすぐに2日目が始まる。

 

※道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る②

※道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る③

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コメント: 3
  • #1

    としお (月曜日, 10 9月 2018 19:53)

    停電で大変な時に家族、従業員皆んなで良くやったね。有り難うございました。

  • #2

    みずほ (水曜日, 12 9月 2018 12:37)

    フェイスブックで道新りんご新聞さんの投稿で沢山の状況を知ることができ助かりました。
    裏では様々なドラマがあったと思いますが、状況判断と対応が素晴らしい。
    これからもご活躍下さいね。

  • #3

    道新りんご新聞 (水曜日, 12 9月 2018 22:11)

    あたたかいコメントありがとうございます。皆様からの感謝のメッセージは本当に励みになります。私一人の力ではなく、従業員、家族、手助けしていただいた地域の方々のおかげです。道新りんご新聞はこれからも地域に寄り添っていきます。