17年ゼミの“食べきれない戦略”と地域情報に対応できない災害報道

■17年ゼミの食べきれないという戦略

アメリカには17年ごとに大発生するセミがいます。17年もの間、幼虫は地下にいて、羽化の年を迎えるとわずか2,3週のうちに何百万という幼虫が地上に現れて成虫となり、交尾し、卵を産み落として死にます。13年ゼミという13年ごとに大発生するセミもいます。12年や15年といった周期はなく、17年も13年という割り切れない数字(素数)がポイントです。

 

この現象について生物学者は、数年周期の生活環を持つ捕食者が同時期に発生する確率を抑えられるためではないかと指摘しました。例えばセミの発生周期が12年であったなら、発生周期が3年や4年の捕食虫とは常に同時発生してしまいます。これが17年であれば、発生周期が3年の捕食者は51年、4年の捕食者は68年おきにしかセミと同時発生することができません。捕食者が食べきれないほど同時に大量発生することにより、食べ残されたセミが子孫を残すことができます。さらにその周期を素数年にすることで捕食者に大量捕食される確率を抑えることができます。

 

■災害時に大量発生する地域ニュースを誰がさばくのか?

さて、話をニュース報道に切り替えます。今年、平岸住民にとって大きな事件が2つありました。胆振東部地震と平岸爆発事故です。どちらも地域住民にとって大きな事件でしたが、その報道は大きく異なりました。

 

12月16日に発生した平岸爆発事故。現場に向かって驚いたのが、マスコミの数の多さでした。事故現場では、北海道ローカルだけでなく、キー局のカメラマンがずらりとならびカメラを回していました。全国紙やワイドショーでもトップニュースとして扱われ、翌日早朝から各社のヘリが上空を飛び回っていました。大きなニュースが少なかった時期でもあり、日本中の取材力が平岸1点に集中しました。事故現場がせまく、社会的インパクトが有り、競合するニュースがなかったため、「情報ニーズ<取材力」となり、情報が捕食者(マスメディア)によって食べつくされていました。私は、早々に取材を切り上げ、それらのニュースをまとめたり、SNSでシェアすることに方針を切り替えました。他に伝えてくれる人がいるなら自分の出る幕ではないし、プロに任せ、私は平岸住民の視点でそれらの報道を取捨選択するという役割に徹しました。

 

これと対照的だったのが9月6日に起きた胆振東部地震とそれに続くブラックアウトでした。全道すべてが停電し、道民すべてが被災者となるという前代未聞の災害でした。厚真の土砂災害、里塚の液状化、東区の道路陥没など全道にわたった被災範囲は、マスコミが対応できる範囲を大きく超え、わかりやすい被害のなかった地域の情報は空白地帯となりました。

 

「地域の情報ニーズ>>取材力」という状況では、誰も平岸の災害・生活情報を発信する人はおらず、自分以外この状況に対応できる人はいませんでした。そのため、自転車で避難所、スーパー、区役所などを駆け回り、主体的に情報を発信しなければなりませんでした(※道新りんご新聞活動記 大停電からの3日間を振り返る)。

 

17年ゼミの大量発生に捕食者が対応できないように、今後も大規模な災害が起きてもマスメディアは地域の細かな情報を伝えることはできないでしょう。大災害時にはマスメディアは地域に対応できないーだからこそそこに暮らしている人が、自分たちで情報を発信できる体制を整えていく必要がある。そうして創刊したのがこの道新りんご新聞です。

 

 

一方で、これまでの道新りんご新聞の活動を振り返ると「家業」の域を脱せず、取材力も発信力も貧弱で理想とする地域メディアには程遠いのが現状です。どんなに理想が正しくても、「事業」として成り立たせなければ意味がありません。「家業から事業へ」。来年、道新りんご新聞は大きく変わります。