質の高い情報が手元にある意義とは?科学雑誌ニュートンを例に考える

科学雑誌「ニュートン」の発行会社ニュートンプレスが民事再生手続きを申し立てました。出版は継続されるようですが、一抹の寂しさを覚えます。

 

ニュートンが創刊したのは1981年、私が4歳の時で、物心ついたときにはあの赤い表紙の雑誌が実家の本棚に並んでいました。

 

小学生程度の学力では、内容については十分理解できていませんでしたが、鮮やかなイラスト、迫力の写真は眺めるだけでも惹きつけられる魅力がありました。

 

ニュートンをきっかけに、恐竜好きになり、大学では化石を研究し、この仕事についてからはその経歴を活かして平岸の歴史を訪ねての連載を3年前から開始し、昨年道新りんご新聞の創刊に至ったわけですから、極論するとニュートンがなければ道新りんご新聞もなかったといえます。

子どもの吸収力というのはあなどれないもので、知識でも音楽でもスポーツでも大人のまねをしてあっという間に覚えてしまいます。

 

振り返って思うと、子どものころに身近に好奇心を刺激する質の高い情報に定期的に接することができた環境というのは、その子の一生を左右する大事なことかもしれません。

 

最近、まとめサイト問題などの影響でインターネットだけで情報を集めることに危機感を感じる若い親から、「子どもの教育にいいから新聞をとりたい。」というような相談がありました。

 

こういった相談を受けたときに、私は「新聞をとるだけで教育にいいわけではありませんよ」とアドバイスします。余計なことかもしれませんが、新聞を取っても親がスマホを眺めてばかりいたら、子どもが新聞に興味を持つはずがありません。親が興味深そうに読んでいる姿を見てはじめて子どもも興味を持ちます。

 

インターネットは自分の興味のあるせまい世界の情報しか入ってきません。その狭い世界しかふれあえない環境で育った子供は、自らの可能性を親によって摘み取られているといえます。

 

新聞に限ったことではありませんが、子どもの可能性を広げるうえで、質の高い情報を日常的に触れ合える環境を整えておくことが親の責務と思います。

 

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