お彼岸に振り返る南平岸ー霊園城下町物語①

昭和53年頃の平岸火葬場
昭和53年頃の平岸火葬場

明日は、春分の日です。

毎年、春・秋のお彼岸の季節になると、平岸霊園界隈はお墓参りの車で混雑します。

 

地下鉄「南平岸駅」が、平成6年まで「霊園前駅」と呼ばれていたように、南平岸は霊園城下町として知られています。

 

そのルーツは、昭和16年の平岸霊園の開設にさかのぼります。

現在の豊平公園にあった墓地がいっぱいになり、火葬場と合わせて造成されました。

これらの施設は、平岸住民の「霊園や火葬場ができればもっと町がにぎわうのではないか」という声により、誘致が行われたそうです。

その火葬場も、昭和59年に里塚火葬場ができると閉鎖され、今は平岸プールとなっています。

 

現在札幌市内にある火葬場は、里塚と手稲山口の二ヶ所。地図を見ればわかりますが、いずれも札幌の外れに位置しています。

 

火葬場や霊園は、その施設の特性がら郊外に建設されます。

つまり、昭和16年当時の平岸は、今の札幌でいう里塚のような、札幌なのか北広島なのかわからない(里塚の方には大変失礼ですが)、札幌であって札幌でないような地域(すいません)であったと考えればわかりやすいでしょう(平岸霊園開園当時は豊平町でしたが)。

 

実際、お年寄りの方に伺うと、昭和の半ばごろまで、平岸に住んでいるというと中央区あたりの住民からは、田舎者扱いされていたそうです。

特に、定山渓鉄道から東の高台側は、火葬場やお墓しかなく、ぼうず山(豊平区役所裏手の小山)にスキーに行く以外では、まず通ることはなく、なんとも不気味な場所だったようです。

 

後に、交通網が整備され、地下鉄沿線沿いになってからそういうことも無くなったようですが、霊園の移転と都市の拡大は密接な関係にあるということは言えそうです(明日に続きます)。

 

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