お彼岸に振り返る南平岸ー霊園城下町物語②

昭和23年頃の南平岸地域の航空写真(国土地理院ホームページより)
昭和23年頃の南平岸地域の航空写真(国土地理院ホームページより)

縁起が悪いという理由で、地下鉄駅名が「霊園前駅」から「南平岸駅」になったのが平成6年。

南平岸の住民からは、「これじゃ、うちが平岸の分家みたいじゃないか」と反発の声も多く寄せられたそうです。

確かに、歴史的な経緯を考えれば、この駅名もあまり適切とはいえないのかもしれません。

 

平岸の開拓の歴史は、明治4年岩手県水沢からの集団入植に始まります。

平岸街道を挟んで東西62区画に分け、入植者はくじを引いて開墾地を割り当てました。その意味では、どちらが本家ということも言えないのです。

 

命光堂跡地に開校した東進衛星予備校
命光堂跡地に開校した東進衛星予備校

むしろ、明治時代には南平岸の方が中心であり、平岸地域で最初の小学校(平岸小学校)や商店(現清水商店)もこの地に作られました。

明治43年に建設されたアンパン道路は、平岸地区と月寒地区を結ぶ連絡道路として作られましたが、この道路の平岸側の起点が、平岸小学校であることも、この時代の平岸の中心部が南平岸だったことを物語っています。

 

霊園城下町として栄えてきた南平岸。

半径500メートルに、斎場が3カ所、墓石店も3軒あります。

 

しかし、そんな霊園城下町も風向きが変わってきたようです。

南平岸駅前にあった仏壇店「命光堂」は創業30年を越える老舗で、斎場の近さから、暗くなってからも「数珠を買いたい」と駆け込む喪服姿の客もいたそうですが、近年は神棚や仏壇の需要減少により売上が低迷、3年前に倒産しました。

 

この春、替わって入ったのが、東進衛星予備校南平岸駅前校です。

霊園城下町の面影は少しづつ薄くなっているのかもしれません。