天皇陛下と平岸~明治から平成までを振り返る①「上の道」と「下の道」

8月6日放送「イチオシ!」より
8月6日放送「イチオシ!」より

北海道を訪れていた天皇、皇后両陛下は5日、きたえーるで開催された「北海道150年記念式典」に出席し、この日の夕方帰京されました。

 

きたえーるからは、平岸街道を南下し、南平岸で白石藻岩通へ左折し、HTBの前を通り、羊ヶ丘通から新千歳空港へ向かわれました。今回陛下が通った平岸街道は明治天皇とも縁のある道路です。ここで、明治から平成までの天皇と平岸の関わりを簡単に振り返ってみたいと思います。

明治4年、水沢からの入植者のために建設されたのが平岸街道です。明治6年には、農業用水と生活用水の確保のために平岸用水が開削され、精進川から取水した用水が平岸街道の真ん中を流れていました。

 

明治14年に明治天皇がはじめて札幌に行幸され、宿泊施設として豊平館が大通に建設されました。見学地のひとつとして選ばれたのが、明治9年にお雇い外国人エドウィン・ダンによって開かれた真駒内牧牛場でした。

明治29年札幌地形図
明治29年札幌地形図

豊平館を出発した明治天皇は豊平橋を渡り、平岸街道を南下し、天神山の麓で真駒内方面に右折し牧牛場へたどり着きました。

 

このとき、平岸街道の整備も行われましたが、用水を挟んで西側の道だけに白い砂利が敷き詰められました。西側の道は「上の道」と呼ばれ、馬車も通る綺麗な道でしたが、東側の道は「下の道」と呼ばれ、土埃の舞う穴ぼこの道だったそうです。「上の道」はその後も整備され、定期的にまかれる砂利によって、徐々に「下の道」よりも高くなっていきました。

 

そのため、春先に雪解け水で用水が増水すると必ず「下の道」側から浸水し、平岸街道の東側の農地を水浸しにしたそうです。

 

※天皇陛下と平岸~明治から平成までを振り返る②昭和天皇と平岸りんご

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