明治20年代に、平岸(東裏)~白石一帯に水田地帯が広がると、水不足が深刻化。明治6年に作られた平岸用水だけでは下流域に十分な農業用水を供給することが難しくなっていました。そこで、明治27年に平岸村・豊平村・白石村・上白石村の4つの村が共同で四箇村連合用水の建設を決定しました。
平岸用水は今の澄川西小学校(地下鉄自衛隊前駅前の東光ストア裏側)のあたりに水門を設け、精進川から取水。天神山の西側を迂回し、平岸街道の真ん中を流れていました。この水門付近に真駒内用水を合流させることで、精進川と真駒内川の二つの水系から安定的にかつ大量に用水を確保することに成功しました。