平岸にあったスキー場 往時にはバスが連なり、売店も

昨日のクイズ「この写真はどこでしょう?」にお答えします。まず写真上部の中央の青枠で囲んだところに鉄塔が写っているのがわかると思います。形をよく見ると送電線を吊る出っ張りが左右に張り出しています。

 

さらに赤い矢印の先にうっすらと送電線が写っているのが確認できます。写真手前の風景をよく見ると、結構な高さから見下ろして撮影していることがわかります。

 

つまりこの写真は送電鉄塔に登ってその先の送電鉄塔を写したものであることがわかるのです。ではこの送電鉄塔はどこにあるのでしょうか?

まず写真右側に藻岩山の山並みがはるか後方に写り込んでいるのがわかります。さらに鉄塔の裏にはなだらかな緩斜面が続き、台地になっています。一方、鉄塔から手前は広大な平野部で、水田地帯になっています。

撮影位置と撮影方向を青矢印で示しました。地図は昭和29年のものです。あまりに現在と町並みが違うので、どのあたりか戸惑うかもしれません。

 

画像左側の「鉄道」の文字。定山渓鉄道です。今は地下鉄南北線になっています。

 

画像下側中央に「火葬場」があります。今は平岸プールになっています。

 

青矢印の右側の四角が連なっている土地はもともとは陸軍の射撃場。今は月寒公園になっています。

つまり今は環状通の中央分離帯の真ん中に立っているこの鉄塔に登って(鉄塔自体は新しいものに変わっていますが)、豊平区役所方面を写したものであることがわかります。

 

ちなみにこの時代にはまだ環状通も羊ヶ丘通もありませんが、羊ヶ丘通の前身となる道路は存在し、写真にも写っています。

グーグルストリートビューから切り取るとこんなアングルです(ちょっと高さが足りませんが)。

さて、この鉄塔の裏側に広がる緩斜面は、昭和40年ころまでスキー場として賑わっていました。

 

「さなぶり 東裏百年ものがたり」によれば、ここをスキー場として利用し始めたのは昭和10年頃で、当時月寒にあった陸軍の歩兵第25連帯がスキー演習を始めたのがきっかけとされています。

 

やがて平岸や月寒、豊平の小学生たちの手近なスキー場として賑わうようになり、今の区民センター裏側の公団住宅のあたりに売店が設けられ、牛乳、ジュース、パン、そばなどが売られていました。しかし、太平洋戦争が始まると、売店は軍に接収され、戦闘帽の製造工場に変わり、戦後は取り壊されてしまいました。

 

戦後も通称「東山スキー場」は手近にレジャーが楽しめる場所としてますます人気となり、バスが4,5台も連なる小学校のスキー遠足や、スキー大会などで賑わっていました。

 

しかし、昭和36年に陵陽中学校ができると、東側の斜面が削られ、残った西側斜面も宅地開発により失われることになり、「東山スキー場」は消えてしまったのです。

 

ほんの半世紀ほど前のことですが、一度失われた歴史はだれかがそれを伝えない限り、実にあっさりと消え去ってしまうものなのです。

 

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