“蝦夷地の風土病”を防いだりんごと豊平館 古生物学と建築学の共通点を探る①

今日5月7日は「博士の日」です。白虎隊の隊士であり、東大の総長も務めた会津出身の山川健次郎が日本ではじめて博士号をもらったのが1888年の今日。それから130年がたち、おそらく何十万人という人々が博士号を取得し、様々な分野で活躍してきました。

 

私が取得したのは理学博士。専門は古生物学という学問です。様々な化石の中でも、超マイナーなウニの化石を研究していました。ウニの魅力は(グルメ的なものを除いて)、デザインが他の生物に見られないほど、奇抜でバリエーションが豊富であるということです。

 

ウニのデザインといっても皆さんは、バフンウニやムラサキウニのような「いが栗」の形を思い起こすかもしれませんが、私が研究していたのはそれらとは全く別のブンブクウニという種類でした。

 

写真を見てわかるように、普通のウニとは違い、体毛のような無数の細かいトゲが体をびっしり覆っています。ブンブクウニはこの小さなトゲを使ってトンネルを掘って生活しています。このような機能とデザインの関係性を研究する学問を「機能形態学」といいます。

さて、「平岸の歴史を訪ねて」の連載を開始してから、歴史的建造物について調べる機会が増えました。以前の私は正直言って建築物にまったく興味がありませんでした。人工的な造形物よりも、生物のデザインに興味があったからです。

 

しかし、平岸のある建物がきっかけとなり、この考えを改めることになります。その建物が平岸3条2丁目にある中井家りんご倉庫です。この建物の存在は以前から知っていましたが、興味を持つきっかけとなったのが札幌の街歩きなどの文化活動を行っている札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人さんのブログ・札幌時空逍遥でした。

 

このブログに書いてあるようにこの建物は、札幌軟石造りの倉庫からレンガ造りの倉庫への転換点となる口火を切った建物といえます。

明治13年の冬、お雇い外国人のルイス・ベーマーは明治天皇の札幌行幸の際の宿泊所として建てられたばかりの豊平館に、(明治天皇が宿泊するより先に!)あるものを“宿泊”させました。

 

それが、その秋札幌で収穫されたりんごです。開拓使は移民者の経済的自立を助けるため、りんごをはじめとした果樹の苗木を無償で配布しました。りんご配布には、農業支援だけではなく、移民者の健康支援という目的もありました。というのは、当時北海道には“蝦夷地の風土病”と呼ばれる壊血病が流行っていたからです。これはビタミンCの欠乏によって起こる病気で、冷蔵設備もない当時の北海道にあっては、真冬に新鮮な野菜や果実を摂取することが難しいという状況もあり、開拓民たちを苦しませていました。

 

ベーマーはこうした状況を改善しようと、竣工したばかりの豊平館の地下室を仮のりんご倉庫とし、貯蔵試験を行いました。その結果はきわめて良好で、凍れるものもなく、翌春でもりんごのみずみすしさは失われることはありませんでした。豊平館の地下室の外壁は札幌軟石でできています。札幌軟石は4万年前の支笏火山の火砕流が冷え固まったもので、火山ガスが抜けた無数の穴が天然の断熱材の作用を果たすため、倉庫の外壁としてはうってつけでした。ベーマーの貯蔵試験がどこまで壊血病の予防に貢献したのか記録は残っていないので確かめるすべはありませんが、この貯蔵試験後、札幌軟石を使った倉庫は札幌に普及し、農作物の保管に重要な役割を果たしました。

 

→北海道を農業王国にしたレンガの積み方とは? 古生物学と建築学の共通点を探る②