平岸天神を作った男

平岸はかつて国内有数のりんごの産地でした。昭和中期になって宅地化が進みりんご農家はなくなりました。それから半世紀以上経ち、今ではりんごを作っていた人はほんの一握りになってしまいました。

 

明日発行の道新りんご新聞「平岸人図鑑」では、最後のりんご農家世代であり、YOSAKOIソーランチームの平岸天神の創設者でもある中井昭一さんにお話を伺いました。

 

今回の取材は良い意味でとんでもないことになりました。


中井さんの人生を通して平岸の歴史を振り返るつもりでお話を伺うと、まず戦時中の札幌空襲(昭和20年7月15日)の話からスタートしました。その後もりんご農家の栄枯盛衰、豊平町合併問題、平岸用水の最後などどれも面白いものでした。

 

特に豊平町合併問題ではどの新聞にも郷土史にも残されていない驚愕の事実(大げさでなく)が明らかになりました。今こんなことが起きたら間違いなく全国紙の1面トップを飾るでしょう。

 

ただ今回は紙面の都合により、平岸天神創設の経緯に絞りましたので、平岸の歴史についてはまた別の機会に紹介させていただきます。お楽しみに

 

※道新りんご新聞は毎月1日と15日の平岸地域の北海道新聞に折り込んでいます。道新の1週間無料お試しキャンペーン実施中!