ウルトラマリンブルーじゃない!?赤かった『豊平館』

白地の壁にウルトラマリンブルーが映える美しさから札幌市民に愛されている豊平館。

 

しかし、その特徴であるウルトラマリンブルーが消え、赤く塗られていた時期があったのをご存知でしょうか?

 

私が、「豊平館は一時期赤かったのではないか?」と思うようになったきっかけは天神山アートスタジオにあります。

エントランスホールの本棚の上にひっそりと豊平館の模型がたたずんでいます。

 

この作品は美園の故・加藤幸作さんが制作したもので、材料はなんとすべてタバコの箱。

 

驚きなのが一切着色はせず、パッケージの色をそのまま使って細部が表現されていること(詳しくはタバコの箱でできたリアルすぎる『豊平館』in天神山アートスタジオをお読み下さい)。

 

さらに加藤幸作さんの作品を調べていると、ある記事に出くわしました。

1992年11月19日北海道新聞朝刊27面より
1992年11月19日北海道新聞朝刊27面より

以下、1992年11月19日北海道新聞朝刊27面こだま欄より引用。

 

▽…時計台保存論議で揺れている札幌市に十八日、たばこのパッケージで作った時計台などのミニチュア七点が贈られた。

▽…同市豊平区の加藤幸作さん(86)が寄贈した。四カ月かけて製作した時計台は、パッケージ千枚を使い、高さ六十センチほどで実物の五十分の一大。本物の時計も内蔵している。

▽…軽くて簡単に“移転”できそうなミニチュアの時計台を前に、桂信雄市長は最近激しくなってきた現地保存、移転両派の論議をしばし忘れ「見事なものですね」。

 

加藤さんは豊平館だけではなく、時計台など札幌を代表する歴史建造物の模型を制作していたことがわかります。

というわけで、豊平館以外にも作品が残されていないか調べた所、旧札幌控訴院の玄関ロビーにも加藤さんの作品が展示されていることがわかりました。

模型は細部にわたって精密に再現されていますが、一点実物と大きく異なる点があります。

 

本物の控訴院には、中央の赤い屋根の下に丸いくぼみがあります。くぼみの中には何もはめ込まれていません。

 

一方、加藤さんの作品には、中央のくぼみに金色の紋章がはめ込まれています。


2016年9月7日北海道新聞朝刊24面より
2016年9月7日北海道新聞朝刊24面より

これは、天皇を表す菊の紋章で、控訴院が天皇の機関であることを示す象徴として、飾られていました(詳しくは、旧札幌控訴院 消えた紋章の謎と加藤幸作のリアルすぎるタバコ模型をお読み下さい)。

 

控訴院が建てられた大正15年は、加藤さんが20歳の年にあたります。加藤さんにとっては、菊の紋章がはめ込まれた姿の方が自然だったのかもしれません。

 

加藤さんの作品の特徴として、①細部に渡るまで忠実に本物を再現している、②加藤さんの青年時代(大正末~昭和はじめ)の時代をイメージしているということがわかります。

ここで、「豊平館は一時期赤かったのではないか?」という最初の疑問にぶつかります。

 

加藤さんの作品は、タバコのパッケージを使い、一切着色せずに使用している点に特色があります。

 

なぜ、豊平館の模型を作るときに、青色のパッケージを使わなかったのでしょうか?

例えば、この作品の製作時期のハイライトのパッケージなどは、豊平館のウルトラマリンブルーにぴったりです。

 

にもかかわらず、徹底して青色を避け、赤色を使っているのは、加藤さんの青年時代には実物の豊平館が赤かったからではないかと思うようになりました。

豊平館の外壁塗装に使われたラピスラズリ(豊平館内展示資料)
豊平館の外壁塗装に使われたラピスラズリ(豊平館内展示資料)

豊平館は、明治13年に要人用の高級ホテルとして、今のテレビ塔のあたりに建設されました。

 

最初の宿泊者は明治天皇で、札幌行幸の時に行在所として4日間宿泊されています。

 

実は、建築当初の豊平館がどんな色だったかは長い間わかっていませんでした。というのも、色については設計図にも書かれず、白黒写真でも判別できないからです。

 

これが明らかになったのは、昭和58年に行われた修復調査の際、北大工学部の田畑氏らの解析により、創建当時の塗料の層からウルトラマリンブルーと思われる青色の粒子の顔料が検出されました。

 

この顔料は、アフガニスタン原産のラピスラズリという鉱物から合成されたもので、明治政府がわざわざ輸入した超高級品だったことがわかりました。

 

このことから建設当初は現在と同じ白地の壁にウルトラマリンブルーの配色だったことがわかります。では創建当初から現在までずっと同じ配色だったのでしょうか?

『さっぽろ文庫15 豊平館・清華亭』より
『さっぽろ文庫15 豊平館・清華亭』より

この疑問を打ち破る衝撃的な絵はがきが『さっぽろ文庫15 豊平館・清華亭』の扉絵に収められています。

 

そこには、「戦前の絵はがき」と題して、おなじみのウルトラマリンブルーではなく、白地に赤のコントラストの豊平館が描かれています。

 

この絵はがきについて、豊平館の佐々木康文館長に伺ったところ、確かな資料は残っていないが戦前の一時期赤く塗られていたのは間違いないであろうという返答が得られました。

 

その理由として、当時の豊平館は建築から数十年以上経過し老朽化が進んでおり、高級な顔料が使われなくなったのではないかと教えていただきました。

 

建築から42年が経過した大正11年豊平館は宮内庁から札幌市に下賜されています。さらに、国家神道が強まる昭和8年には明治天皇ゆかりの建物であることを記念して「史跡」に指定されています。

 

つまり、宮内庁から札幌市に管理が移った大正後期から昭和初めの一時期に、塗装費の節約のため赤く塗られていた時期が存在し、加藤幸作さんはその時代をイメージして赤い豊平館の模型を制作したのではないでしょうか。

 

なにぶん故人のことでもあり、今では確かなことはわかりませんが、少なくとも一時期豊平館は赤かったことは間違いないようです。

 

※関連記事:タバコの箱でできたリアルすぎる『豊平館』in天神山アートスタジオ旧札幌控訴院 消えた紋章の謎と加藤幸作のリアルすぎるタバコ模型