平岸から世界へ 海を渡ったりんごたち

北海道新聞朝刊で連載しているリレーエッセイ「朝の食卓」。今朝のテーマは、湧別のリンゴでした。

 

本文中にあるように、湧別は明治初期に入植した屯田兵が始めたリンゴ栽培が盛んな町でした。

 

さて、平岸リンゴと湧別リンゴ、実はこの両者、戦前に揃って海を渡り、海外へ輸出されたことがあります。

9月24日北海道新聞朝刊31面より
9月24日北海道新聞朝刊31面より

昭和10年12月16日北海タイムスより
昭和10年12月16日北海タイムスより

その記事がこちら。『新嘉坡(シンガポール)に旅立つ 平岸上湧別林檎 結果や如何に期待多し』と書かれています。

 

この輸出事業は、道庁の肝いりで、産学官連携により行われた一大プロジェクトでした。

 

その対象に平岸リンゴと湧別リンゴが選ばれたことは、両者の品質の高さを物語っています。

 

この試験輸出の結果は大成功に収まり、さらに追加のリンゴを送っています。

 

新たな輸出先が確保できたかに見えましたが、翌年始まった日中戦争により事態が急変します。

 

当時、シンガポールを植民地支配していたイギリスとの関係が急速に悪化、リンゴの輸出事業も立ち消えになってしまいました。

 

10月9-10日に行われる天神山文化祭では、道新りんご新聞で好評連載中の「平岸の歴史を訪ねて」が文化祭とコラボします。

 

まち歩きツアーやパネル展示、公開座談会「なぜ平岸はりんごの産地となったのか?キーワードは“石と水”」が行われます。詳しくは、こちらのページをご覧ください。