【訃報】セコマ会長の赤尾昭彦さん死去

経営方針を語る赤尾さん(2011年2月10日北海道新聞朝刊13面より)
経営方針を語る赤尾さん(2011年2月10日北海道新聞朝刊13面より)

セコマ会長の赤尾昭彦氏(平岸8条13丁目)は19日、病気のため死去しました。76歳。葬儀は近親者で営みました。喪主は妻香代子さん。後日、社葬を開く予定となっています。

 

1959年に北海道・留萌高校を卒業、60年に札幌市の酒卸会社の丸ヨ西尾(現セイコーフレッシュフーズ)入社。74年にセイコーマート(現セコマ)設立に携わり、道内で約1000店に上るコンビニエンスストアチェーンを育てあげました。

 

赤尾さんは、日本で初めて“コンビニ”を作り出した男と言われています。札幌に1号店をオープンさせたのは1971年、セブンイレブンの日本上陸より3年も早かったのです

入社当時、道内酒卸老舗の丸ヨ西尾の営業マンとして何軒もの酒店を訪問していました。しかし、「規模に勝る道外の大手卸にはかなうはずがない」と、会社の将来に不安を感じていました。

 

そんなとき、たまたま職場に置いてあった雪印乳業の広報誌「スノー」に目を通していると、米国の新しい業態、コンビニエンスストアが紹介されていました。コンビニの可能性に気づいた赤尾さんは、独学で情報を集め始めました。 しかし、見たことも聞いたこともない事業に社内の雰囲気は冷淡で、「失敗するに決まってる」との声も聞こえてきました。

 

赤尾さんは社内の反対を押し切り、取引先の酒店の店主たちに「コンビニを開業して経営近代化を目指さないか」と粘り強く呼びかけます。懇意の札幌市北区の酒店の改装を機に、1号店「コンビニエンスストア はぎなか」のオープンにこぎつけました。

 

1号店開店から3年後、株式会社セイコーマートを設立。ロゴマークに描かれているフェニックス(不死鳥)には「企業の最大の目標は経営を続けること」との思いが込められています。


店舗は順調に増えましたが大手コンビニの攻勢は激しく、創意と工夫で道内最大手の地位を死守してきました。セイコーマートの特色である店内調理コーナー「ホットシェフ」もその一つです。

 

2012年11月、暴風雪で登別と室蘭両市を中心に最大5万6千戸が停電した際、セイコーマートは、室蘭、登別両市の全20店が日中の営業を続け、店内調理でおにぎりなどを提供する「ホットシェフ」が活躍しました。米をたく釜は各店とも電気式とガス式の両方を備えており、停電でも炊飯ができたためです。


生まれ育った北海道が大好きで「道産の食材を使って、道内の工場でおいしいものを作り、道内の隅々まで良い商品を届けたい」という地域密着にこだわった人生でした。謹んでお悔やみ申しあげます。

 

「トップの決断 北の経営者たちより」(北海道新聞社)などから抜粋。北海道新聞社発行の書籍は、最寄りの道新販売所からご注文いただけます。

 

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