「人類学」と人種差別~アイヌ民族遺骨返還問題を振り返る

鎮魂の祈りをささげる小川さんら(7月16日北海道新聞朝刊1面より)
鎮魂の祈りをささげる小川さんら(7月16日北海道新聞朝刊1面より)

全国の大学でアイヌ民族の遺骨約1600体が保管されたままになっている問題で、北海道大学はアイヌ民族有志の団体「コタンの会」に対し、遺骨12体を返還しました(どうしん電子版の記事はこちら)。

 

アイヌ民族の遺骨は19世紀末から1970年代にかけて「人類学の研究」として全国の大学の研究者が収集してきました。

 

今回のコラムでは、遺骨の収集が始まった19世紀末の科学者がどのような視点で、「人類学」を研究し、人種差別的な主張を繰り広げたのか?また、それがなぜ間違いなのかをご紹介します。

スティーヴン・グールド『ダーウィン以来より』
スティーヴン・グールド『ダーウィン以来より』

極端なことをいえば、この時代“人種”差別問題はなかったともいえます。というのは、この時代の人々が聡明で偏見がなかったから・・・というわけではなく、そもそも白人と黒人などは違う種であり、区別されるのは当然であるというのが“常識的な”考え方だったからです。

 

当時の超一流のドイツ人生物学者エルンスト・ヘッケルは、『個体発生は系統発生を繰り返す』という名文句で知られ、今でも生物の教科書には必ず載っています。

 

彼がその著書『人類発生論』の中で使った挿絵がこちら。人類は猿からチンパンジーを経て、より近縁な“黒人”に進化し、最終的にもっとも優れた白人に進化したという考えがこの図から読み取れます。

 

また、1890年D・G・ブリントンは、「幼児の形質をより多く保持している成人は、発育が進んだ成人より劣る。これを基準にすると、白人が最も成熟し、アフリカ人ないしニグロは(幼児的な形質を多く備えている点で)劣っている」と主張しています。

1866年にイギリスの眼科医ダウン博士が、先天性の疾患を発見しました。現在では、発見者の名前をとって「ダウン症」と名付けられているこの疾患について、博士は「目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達、体は小柄、髪の毛はウェーブではなくて直毛で薄い」というような特徴は、発生時の障害により白人が人種的に劣ったアジア人に先祖返りしたために起こる症状であるとして、「蒙古痴呆症(mongolian idiocy)」と名づけました(現在では、21番染色体の減数分裂時の失敗が原因であることがわかっています)。

 

これらの考え方は、人類の進化のメカニズムが明らかになるにつれ、その根拠を失います。

 

よく知られているように人類とチンパンジーの遺伝子は98%以上同じであることが知られています。にも関わらず両者の形態は大きく異なります。

 

この2%の違いは何かというと、体の発育をコントロールするスイッチであるといわれています。人類は、①体毛が薄い、②アゴが小さい、③凹凸の少ない丸い顔立ちなどを持つ点で、霊長類の幼体の性質を備えています。

 

つまり、祖先の類人猿から、発育のタイミングを遅らせたまま大人になることで幼体的な特徴を持った“猿”に進化したということです(幼形成熟)。

 

このことは、黒人やアジア人が幼児の形質を有するから原始的であるという主張とは、全く逆になります。

 

ここではっきり言っておきたいのは、人種や民族の間で、脳の大きさ・知能・行動などに遺伝的な違いはないということです。

 

科学者は、様々なデータを元に科学的主張を繰り広げます。そのデータの数値は正確なものですが、そこから展開される主張がいつも正しいとは限りません。

 

ナチスドイツがユダヤ人への虐待を正当化するため優生学を理論的根拠としたように、政治的に利用されることもしばしばあります。

 

もっとも私達も、科学者の過ちを笑うことはできません。血液型占いとか、水素水といった科学的根拠が全くないものがまかり通っている現状を見ると、100年後に笑われるのは私達なのかもしれません。

 

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※参照:スティーヴン・グールド「ダーウィン以来」、「パンダの親指」