遠くの親戚より近くの他人・・・より手元のスマホ 現代茶の間事情

 毎週月曜日の道新朝刊生活面で連載されている「おじさん図鑑」は風刺のきいた文章と可愛らしいタッチのマンガが人気のコラムです。今週号では、「現代茶の間事情」が取り上げられています。

 

いわく、「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがある。それならば「近くの親戚」だったらもっと頼りになるであろう。さらに「一緒に住む親族=家族」ならもう最強ではないかと。

 

ところが、現実はさにあらず。茶の間にいる「家族」が、それぞれスマホで「遠くの他人」と通信している、という時代になりつつあります。

さて、同じような問題を4年以上前に取り上げた人がいます。昨年亡くなった任天堂の岩田聡前社長です。岩田さんは、『技術の進歩は間違いなく、色々なことを便利で快適にしてくれましたが、同じ部屋にいるのにお互いに対してよりもそれぞれの装置と接触していることのほうがどんどん長くなってしまう・・・という状態が私達の未来の人間関係にとって良い訳がありません。』と語っています。

 

また、スマホやタブレットといった電子機器(任天堂の携帯型ゲーム機を含めて)は個人で楽しむには問題ないが、複数の人間で情報を共有するには全く向いておらず、結果として家族の分断が進んでいるということを指摘しました。

 

私ごとですが、私は朝たっぷり時間をかけて新聞を読むのが習慣で、読んだ感想をそのまま口にしてしまう癖があります。悲惨な事件があれば「可哀想に」とつぶやきますし、日ハムが勝てば「よっしゃ」と叫びます。

 

最近4歳になる娘が、この反応を聞いて、必ず「なに、なに?」と聞いてくるようになりました。そこで、どの程度通じるかはわからないながらも(4歳時に説明するのはこちらもトレーニングになります)、なんとか説明しています。

 

このやり取りを思い返して、あらためてオールドメディアと呼ばれる新聞・ラジオ・テレビといった媒体が複数で情報を共有するには最適であること、逆にスマホなどのデジタルメディアは基本的にパーソナルなものであり、依存し過ぎると現実世界で孤立してしまうことを実感しました。

 

何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』ですね。

 

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