進化論から迫るイチローの記録の“真の価値”と4割打者絶滅の謎

アノマロカリスなどの奇妙な生物を一般に知らしめた名著『ワンダフル・ライフ』などで有名なアメリカの進化古生物学者、故スティーブン・グールド氏は、大の野球好きとしても知られています。

 

グールドは、サイエンスライターとしても傑出したエッセーをいくつも書いていますが、中でも有名なのが『四割打者の絶滅と進化の逆説』です(フルハウスー生命の全容に収録)。

 

昨日イチロー選手は日米通算で4257本目となる安打を放ち、ピート・ローズ氏が持つ大リーグ記録の4256安打を超えました。通算安打にとどまらず、シーズン最多安打など様々な記録を更新しているイチロー選手ですが、彼の記録の“真の価値”は、野球というスポーツが成熟しきった状況の中で飛び抜けた記録を残したことにあります。このことをご理解いただくために、まず進化論を背景に四割打者絶滅の謎に迫ったグールドの主張を紹介したいと思います

大リーグには1941年のテッド・ウィリアムズを最後に“絶滅”してしまった記録があります。四割打者です。近代野球のルールが確立した1900年以降、四割を越えたのは13回に及び、テッド・ウィリアムズの記録を除けば1930年までの30年間に集中しています。

 

この時代、四割という記録はもちろん価値ありとされていましたが、それほど珍しいことではありませんでした。それが、1941年の孤高の記録以来今に至るまでゼロ行進が続いています。

 

この理由について、実に多くの説が唱えられました。その中でも、①新球種の開発(スライダーやスプリットなど)、②投手の細分化(先発、中継ぎ、リリーフ)、③守備力の向上(ダブルプレーなどの連係プレーの発明やグラブの品質の向上)といった説が支持を集めていましたが、結局推論の域を出ず、結論が出ませんでした。

 

この論争に終止符を打ったのがグールドです。グールドはこれらの説について、四割打者絶滅の原因が投球術や守備力の向上といった相対的な打撃力の低下にあるならば、リーグ全体の平均打率も落ちるはずであると指摘。実際には、平均打率はほぼ2割6分で現在に至るまで維持されていることから、これらの説を退けました。

打率の標準偏差の推移。縦軸が標準偏差、横軸が年代(Exploring baseball data with Rより)
打率の標準偏差の推移。縦軸が標準偏差、横軸が年代(Exploring baseball data with Rより)

変わって着目したのが打率の「標準偏差」です。標準偏差とは数値のばらつき意味しており、高いほどばらつきが大きい、つまりへたくそなプレイヤーと上手なプレイヤーが混在していることを表します。

 

この数値の変化を調べると、「時代とともに標準偏差が低下していること」と「1960年ごろから標準偏差が下げ止まっていること」がわかります。

 

このことは、「プレイヤー間のレベルの差が時代とともに減少したこと」と「1960年代からはこれ以上レベル差が縮まらないほど競技が成熟してしまったこと」を意味しています。

 

つまり四割打者絶滅の原因は、野球というスポーツが成熟し、プレー全般が向上した結果、変異の幅がせばまったからといえます。簡単に言えば、ヒット数を稼ぐいいカモだった三流投手が排除され突出した記録を残しづらくなったということです。

さて、イチロー選手は四割こそ越えたことはありませんが、大リーグ史に燦然と輝く金字塔を打ち立てています。

 

2004年に記録したシーズン最多安打262本です。2位から9位までの記録を見ると、1930年までに集中しています(10位はイチロー選手の記録)。 

 

この時代は、上のグラフを見て分かるように選手間のレベル差が大きく、打率や安打数などで突出した記録を残しやすい時代だったといえます。

 

グールドはイチローの記録を見ることなく、2002年にこの世を去っていますが、このエッセーの中で、「標準が右壁近くに移動すると(ばらつきが減少し全体的なレベルが向上すると)、掛け値なしの最高の実力者はそれまで想像もできなかったほどすごいレベルを達成する道を捜すだろう。サーカスの曲芸など、危険を伴う演技や行為を演じる偉大なパフォーマーは、ほとんど神聖といっていい熱狂に突き動かされて限界への挑戦に走る。」と語っています。

 

イチロー選手のすごさは、単に卓絶した記録を残したことにあるのではなく、競技が成熟しきった状況で卓越した記録を残したことにあるといえます。

 

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