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アンパン道路月寒側の起点です。国道36号線と接する入口には明治風の街頭が2本立っており、アンパンを模した茶色い円形の看板に「アンパン道路」と書かれています。
この辺りは戦前、陸軍歩兵第25連隊の駐屯地でした。“軍都”の痕跡を求めて、ブラ歩きしてきました。
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国道36号線を、アンパン道路入口から札幌方面へ100メートルほど進み右折すると月寒中央通に出ます。この通りを50メートルほど進んだところに、見るからに古そうな一本の松が立っています。「営門の松」です。
かつては、ここに連隊の正門がありました。『札幌写真ライブラリー』に収められた写真と現在の写真を比較したのが下の写真になります。
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正門があったところを越えて、さらに進むと右手に川村果物店があります。2003年にHTBで放送されたドラバラ鈴井の巣『山田家の人々』の舞台となった山田青果店の撮影には、この店が使われています。
実はこの店、とんでもない建築物なのです。お店の左手に回ると・・・
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下半分をよく見るとレンガと札幌軟石でできた土台の上に店が建っていることがわかります。これはかつてここにあった第25連隊本部の建物の地下室を残し、その上に店舗を建てたことによります。
堅固なレンガ造りの地下室は、真夏の蒸し暑い季節でも中はひんやりと保たれ、天然の冷蔵庫として使われていました。本州との物流の中心が青函連絡船だったころは荒天による運休も多く、貯蔵庫は欠かせなかったそうです。
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裏手の駐車場に回り、店舗の裏側を見ると、レンガの土台が店舗の裏手にも続いているのがわかります(植物で覆われている部分)。よく見ると、明らかに人の手で壊した痕跡があります。
つまり、土台部分は店舗よりさらに奥に続いていたことになります。
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かつての連隊本部の写真がこちら(札幌歩兵第二十五聯隊誌より)。この写真ではわかりにくいですが、昔の地図を見ると細長い建物であったことがわかります。
店舗を建てるときに、連隊本部の前側だけを利用し、奥側は残されなかったことがわかります。
軍都の痕跡は、今でも意外な場所に残されていました。
続きはこちらから→ブラリンゴ アンパン道路編#11.軍都の痕跡その2~洗濯乾燥室