ブラリンゴ アンパン道路編#1.「栗山」の栗は縄文人が持ち込んだ?

本日の卓上四季によれば、今日4月4日は「あんぱんの日」だそうです。

 

あんぱんといえば、平岸と月寒を結ぶアンパン道路ですよね。

 

この道路は、明治44年に、月寒に駐留していた歩兵第25連隊の協力により、作られました。

 

 

道路工事に従事した兵士に間食としてアンパン(月寒あんぱんとして現在も発売されています)を配布したことから、アンパン道路と呼ばれるようになりました。

 

上の写真は、道路工事の様子を写したもので、今の南平岸駅側から高台側を撮ったものです。

 

この写真を見ると、後ろに写っている丘(現在PL教団があるあたり)は、今より起伏に富んでおり、当時の地図を確認すると、今より標高が10メートルほど高かったようです。

 

この丘は、栗の木が密生していたことから「栗山」と呼ばれていました。

また、この写真では確認できませんが、栗山の麓に沿って、小泉川と呼ばれる天然の小川が流れていました。

 

余談ながら、北海道にはもともと栗は自生していませんでした。

それを、縄文人が持ち込んだといわれています。

 

栗の実は栄養価の高い食糧になるし、保存もききます。

栗の木は、腐りにくく、建材として竪穴住居の柱に利用されていました。

 

栗山から北東方面にぼうず山が続いていますが、ぼうず山の麓からは、縄文時代の「平岸坊主山遺跡」が見つかっています。

ひょっとすると、縄文人が持ち込んだ栗の木なのかもしれませんね。

 

昭和中期に高台地域の宅地開発が進むと、栗山の丘も削り取られ、マンションや商業施設・宗教施設になり、栗の木も伐り倒されてしまいました。

しかし、平岸5条12丁目のマンション「エメラルド・グリーンヒルズ」の敷地の一角には、栗の木が今も残されており、栗山の面影をわずかながらに残しています。

 

続きはこちらから→アンパン道路編#2.平岸の中心地はどこ?

 

※「栗山」については、平岸の歴史を訪ねて(自然史編)第7回.原始の平岸で、「平岸坊主山遺跡」については、平岸の歴史を訪ねて(縄文・古代史編)第11回.縄文時代の平岸①で紹介しています。