近代編では、開拓の苦難を乗り越え、サッポロビールや平岸りんごといった新しい産業・農作物と平岸とのかかわりに焦点をあてます。
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第45回.サッポロビールの誕生(2016/9/15号)
札幌の代名詞ともいえるサッポロビール。アメリカ・ドイツ・北海道様々な要素が入り乱れて、数々の偶然と人々の熱意により開拓使麦酒醸造所として誕生しました。このビール工場は、草創期の平岸にも大きな影響を与えています。
第46回.麦とホップを製す(2016/10/15号)
ビールの二大原料である麦とホップ。その国産化を託されたのが、お雇い外国人エドウィン・ダンとルイス・ベーマーでした。二人は、幾多の失敗を繰り返しながらも、原料の国産化に成功。平岸でも、麦とホップは栽培され、開拓農家を潤しました。
第47回.平岸葡萄園(2016/11/15号)
明治9年、開拓使はワイン造りのためブドウ園を設けます。開拓使の廃止後、苗穂にあった札幌最大級のブドウ園は民間に払い下げられますが、鉄道の機関庫を作るため立ち退きを迫られ、明治30年中の島に移転し、『平岸葡萄園』が開園しました。
第48回.サッポロビールと氷池(2017/1/15号)
当時のビールは、ろ過技術が未熟で、夏になると酵母が増殖し、びん内で発酵が進んでしまうこともありました。そのため、氷と一緒に運ぶ必要があったのです。輸送用の氷作りが函館ではじまると、道内各地に広まり、札幌でも豊平川や精進川などに製氷池が作られました。
第49回.ビールびんと火砕流(2017/2/15号)
ビールの製造に比べ、はるかに難しかったのがビールびんの製造です。明治初期の日本の工業力では、炭酸ガスの圧力に耐えられるビールびんを作ることは出来ませんでした。そのため、再利用や陶製のびんで間に合わせていましたが、高まるビール需要に追いつかず、ビールびんの自社生産に迫られます。その原料として、目をつけられたのが平岸の火山灰です。
第50回.千鳥石と砂山(2017/3/15号)
かつて澄川に「千鳥石」の四股名で活躍した小兵力士がいました。力士の名は吉田清といい、明治9年福井県に生まれ、15・6歳で家出し、祭りの奉納相撲で賞金を稼いだり、拾い仕事で賃金をもらったりして札幌に流れ着きました。札幌ではシコ名「千鳥石」としてメキメキ頭角を現し、小兵ながら敏しょうな土俵の立廻りと、持前の男ぶりが人気を呼んでいました。清は、その後澄川ではじめての小売店を開きましたが、やがてサッポロビールのビールびんの原料となるある材料に目をつけます。平岸から澄川一帯の高台に広く分布している火山灰です。清が火山灰の採掘・運搬を請負うと、事業は非常に繁盛、大正期には全盛をきわめました。
第51回.火山灰とスキー場(2017/6/15号)
豊平区役所の裏側一帯(平岸5-11)のこんもりとした台地はぼうず山の名で呼ばれています。昭和初頭から半ば(40年ころ?)まで、ぼうず山は付近の住民に格好のスキー場として親しまれていました。休憩室や売店まで備え、たいそうな賑わいがありましたが、太平洋戦争中は戦闘帽の製造工場として接収されました。