油性マジック

東日本大震災で津波に飲み込まれた女川町立生涯教育センター
東日本大震災で津波に飲み込まれた女川町立生涯教育センター

昨日開催の「歴史と防災とまちづくり」講演会。盛況のうちに無事閉会しました。アンケート用紙を拝見しましたが、ありがたいことにどの方もびっしりと書き込んでくださいました。それだけ充実した内容だったと思います。

 

特に東日本大震災の被災地の現状を報告してくださった北海道ブックシェアリングの荒井宏明講師のお話しは、現地で被災者から直接取材した話をもとにしただけに、胸に迫ってくるものでした。

 

アンケート用紙には、複数の方が「油性マジック」の話に心打たれたとのコメントがありました。

このエピソードは2013年11月14日の北海道新聞に掲載されていますので、あらためてこちらで紹介させて頂きます。

 

「油性のマジックない?」。だれかが発したひとことで、宮城県女川町立生涯教育センター5階に避難していた二十数人は声を失った。2011年3月11日夕刻。うち寄せるたびに高さを増す津波に追われ、建物最上階の機械室に逃げ込んだが、扉の隙間から入り込む水はひざの高さに迫っていた。女川は古くからの漁師町だ。かつては、海難事故の際に身元がすぐにわかるようにと刺青(いれずみ)を入れる漁師も多かった。今、この状況で油性マジックが何に使われるのか、だれもがピンとくる。体に自分の名を書くのだ。発見されたとき、自分だとわかってもらうために。

 懐中電灯の明かりを頼りに、事務机の引き出しを開けたり、棚を調べてみたが油性マジックは見当たらなかった。「じゃあ、手をつなごうか」照れながらも、近くにいるもの同士で手をつないだ。

 どれぐらいの間、建物が水没していたのか、分かっていないが、山の上に避難していた町民は、何艘(そう)かの船が生涯教育センターの上あたりを流れていったのを見ている。しかし、窓のない機械室の中の空気は保たれ、やがて水も引いていった。

 高台にある「女川町つながる図書館」に勤務するMさんは、油性マジックを手に取るたび、あの日のことを思い出す。もし、あのときこれがあったら。ひとしきり自問した後、キャップをはずし、目の前の色画用紙に新刊絵本の紹介文を書き込む。(北海道ブックシェアリング代表・荒井宏明)

 

道新りんご新聞は、災害時に情報発信を通じて地域の安全を守ることを目的に創刊しました。しかしながら、札幌の人は自分が災害の当事者になるという意識が低く、伝えたい事が伝わらないもどかしい気持ちがありました。

 

災害は他人事ではない、自分たちにも起こりうることなんだということを一人でも多くの方に理解してほしいと思います。

 

講演会の内容が素晴らしかっただけに、もう少し多くの人に参加していただきたかったというのが正直なところです。